映像の片隅にいつもそれとなく無数のヒントをちりばめる新海誠監督。
「天気の子」でもそうした隠し要素は無数にあるのですが、
その中でも目を惹くのが2つの文学作品、「ライ麦畑でつかまえて」と「死に急ぐ鯨たち」です。
これらの作品について知ると、単に監督の好きなものを入れたというのではなく
作品の核心部分や成立に深くかかわるものだからこそヒントもしくはオマージュとして入れたのではと思えてきます。
そこで今回は劇中に登場するこれら2つの文学作品の、本作との結びつきを調べてみました。
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サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
「ライ麦畑でつかまえて」の登場場面
家出をした帆高が持ち歩いている小説が、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」。
彼が持っているのは、2003年に村上春樹が翻訳を手掛けた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」です。
カップラーメンの蓋を押さえるのにも使っていることから、肌身離さず持ち歩いていることがうかがえますね。
「ライ麦畑でつかまえて」はどんな本?
J・D・サリンジャーというアメリカの作家によって、1951年に発表された青春小説。
ホールデンという少年が学校の寮を抜け出し、クリスマス間近のニューヨークを放浪する内容です。
物語はホールデンの独白という形式で進行していき、読者に語り掛けるような文体で書かれています。
主人公が感じる社会や大人への不満は、時代を越えて多くの若者の共感を得てきました。
70年近く前の作品ですが、今読んでもとても新鮮に感じることのできる作品です。
帆高はホールデンそのもの?
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公・ホールデンと帆高には共通するところがいくつか見られます。
家出
真っ先に思い浮かぶのは、二人とも家出をして、都会に出てきたというところです。
一人はニューヨークへ、そしてもう一人は東京へ向かいます。
二人とも、自立と自由を求め今いる場所を飛び出しました。
大人への反発
二人とも、大人に対して反抗心を持っています。
作中では深くは描かれていませんが、帆高が家出をした理由は恐らく大人に反発心を持っているからではないでしょうか。
陽菜達が児童相談所に保護されるのを阻んだとこからも、そのことがうかがえます。
そしてホールデンも大人たちの欺瞞や建前を嫌い、それらを「インチキ」と呼び反発していました。
歓喜の雨
「ライ麦畑でつかまえて」では、ホールデンが雨の中妹が乗るメリーゴーランドを見つめ幸福感を覚えるというシーンがあります。
これは本作の冒頭で、帆高がフェリーの上で雨の中はしゃぐシーンを連想させますね。
最後は家に帰る
理由は違えど、二人とも最終的に家に帰っていくところも共通しています。
「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンは家に帰り、その後精神的な疲弊を理由に入院しました。
そして帆高も警察に捕まり、保護観察処分となり家へと帰ることになります。
つかの間の自由を味わうことで、それに伴う責任を学んだ帆高。
しかしラストシーンは、それでも自分の決断を信じるという決意の表れなのかもしれません。
漫画版で示された解釈:”サリンジャーがわかるオトナ”
本作に出てくる大人の中でも異質なのが、帆高がフェリーで出会う須賀です。
子どもに食事代を出させる須賀は、帆高にとって初めて会った自由な大人だったのではないでしょうか。
また漫画版「天気の子」では、須賀が帆高が持っている「ライ麦畑でつかまえて」に言及するシーンがあります。
コミカライズは窪田航によるものなのであくまで1つの傍証でしかありませんが、
ここでは須賀がサリンジャーに描かれているような少年の心情をよく理解しているオトナという解釈が示されているようです。
その後、帆高にとって須賀は唯一頼りにできる大人として描かれます。
しかし帆高へ警察の捜査が及ぶと、結局須賀も他の大人と同じように帆高に家に帰るよう諭すのでした。
そしてクライマックスの廃ビルのシーンでは、警察と共に帆高を説得しようとします。
しかし帆高の陽菜への想いを知ると、自分を犠牲にして帆高を解放するのでした。
これは、かつて帆高のような純粋だったころの自分を思い出しての行動だったのではないでしょうか。
大人になった須賀ですが、帆高の姿を見て純粋な気持ちを取り戻した重要なシーンだと言えます。
アニメの須賀がサリンジャーを読んでいたかは分かりませんが、
ホールデンの心を持ったオトナの一人では間違いなくあったのではないでしょうか。
安部公房「死に急ぐ鯨たち」
「死に急ぐ鯨たち」の登場場面
陽菜達による「晴れ女」ビジネスが軌道に乗っていることを現すダイジェストシーンにて、とある部屋の本棚に「死に急ぐ鯨たち」が置いてあるのが確認できます。
とても希望に満ち溢れたシーンなのですが、この本の存在が少し不気味に感じます。
もしかすると、この部屋は「晴れ女」サービスの依頼者の部屋なのかもしれません。
だとすると、この本が置いてあることが非常に皮肉に映りますね。
「死に急ぐ鯨たち」はどんな本?
戦前、戦後の日本を代表する作家・阿部公房が1986年に発表した評論本「死に急ぐ鯨たち」
1980年に執筆したエッセイやインタビューをまとめた本で、さまざまな分野に関しての見解を読む事が出来ます。
タイトルにもなった「死に急ぐ鯨たち」は短いエッセイで、地震、核軍縮、国連軍などに関して述べた内容です。
エッセイの最後には、以下のような文章で近代社会に警鐘を鳴らしています。
「かなり高い知能をもっているはずの鯨の群れが、とつぜん狂ったように岸をめがけて泳ぎだし、浅瀬に乗り上げ、座礁してしまう」
「溺死の恐怖におびえた鯨が海から逃れようとしているのかもしれない」
「もともと肺で呼吸する地上の動物だったのだから、ことと次第によっては先祖がえりをして水による窒息死に恐怖心を抱きはじめないとも限らないわけだ。寄生虫か細菌に脳をおかされ、浮上する力が失われたとき、可能性としての溺死におびえるあまり、現実の死を見失うこともあるだろう」
「人間だって鯨のような死に方をしないという保証はどこにもない」
「天気の子」で出て来る鯨
作品冒頭のフェリーの場面で、穂高がデッキに出てきた時に、豪雨と共に大きな鯨の形をした水の塊が描かれています。
また東京で中学生たちが鯨を見つけて追いかけていくと、それが水の塊となって降りかかる場面もありました。
今作での鯨は、豪雨の象徴として描かれているようです。
さらに踏み込んで考えると、その豪雨は天気の巫女の犠牲により避けられた雨が集まったものではないでしょうか。
つまり本作における鯨とは、誰かが犠牲になって避けられた災厄と言えます。
日本社会は「死に急ぐ鯨」なのか?
「何かがおかしいけど、このままでいいか」そんな風に考える大衆こそが「死に急ぐ鯨」なのかもしれません。
映画「天気の子」では、二人の少年少女の決断が世界に大きな影響を与えています。
天気の巫女である陽菜が姿を消したことにより、東京は異常気象を避ける事が出来ました。
何も知らない人々にとっては幸福なことでしたが、陽菜の一番近くにいた穂高は悲しみに暮れてしまいます。
そして帆高は周囲の制止を振り切り、再び陽菜に会いに行きます。
その結果世界は激変してしまいますが、二人はその世界で生きていく決意をするのでした。
新海誠監督はこの作品を通じて「若い人に強い意志を持ってほしい」と伝えている。そんな風に受け取れる気がします。
積み重ねを重んじる正統派作家・新海誠
以上、「ライ麦畑でつかまえて」と「死に急ぐ鯨たち」から読み解く映画「天気の子」の考察でした。
読み解いていくうちに、新海誠監督がさまざまな作品からインスピレーションを受けていることを感じました。
この記事では小説について考察しましたが、インスピレーション源は他にも列挙に暇がありません。
その中のまた1つ、伝承・伝説については別記事でまとめましたのでこちらもご覧いただければ幸いです。
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これまでも多くの名監督がそうであったように、新海監督も過去の作品を通じて創作を行っているようですね。
エンタメに満ちていながら、何か観るものの思考を先に進めさせるような力がある……
そんな新海作品のパワーはこれまでの歴史を踏まえた作品作りからも来ているのかもしれないと思いました。
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