映画「天気の子」とともに大ヒットを記録したのが、RADWIMPSが手掛けた挿入歌の数々。
本作では書き下ろし楽曲と、既発曲が合計5曲使われています。
BGMとして使われている場面がほとんどなので、楽曲音量が小さかったりセリフと被っていて聞き取れないところも多いです。
しかし、鍵となりそうな歌詞の部分は意図的に観客にも聞き取りやすいように編集されている箇所もあります。
そこで今回は「天気の子」挿入歌の歌詞から、帆高をはじめとする登場人物の感情や描写について読み取ってみました。
新海誠監督の大人気作「天気の子」が2020年5月27日0時に待望のネット配信開始。 なんとこのフル動画を今すぐ無料で観られる方法がありますのでご紹介します! あわせてNetflix(ネットフリックス)やAmazon Prime([…]
「風たちの声」
楽曲の概要
作詞 | 野田洋次郎 |
作曲 | 野田洋次郎 |
演奏 | RADWIMPS |
登場シーン
物語の冒頭、帆高が須賀が運営する会社「K&Aプランニング」で正式に働き始めるシーンで使われています。
アップテンポで明るい曲調が、帆高の希望を表しているようですね。
居場所を見つけた喜び
K&Aプランニングに住み込みで働き始めた帆高。
慣れない掃除や料理に苦戦していますが、彼の顔は喜びの笑顔にあふれています。
そんな中、バックグラウンドで流れている曲からは以下のような歌詞が聞き取れます。
今ならどんな無茶も世界記録も 利き手と逆で出せるような気がしたんだ 本気でしたんだ
(RADWIMPS「風たちの声」作詞:野田洋次郎)
まさに、希望に満ち溢れた帆高の心境を代弁しているかのような詞ですね。
「利き手と逆で出せる」というのは心の余裕の表れだと読み取れます。
すなわち、須賀と夏美という東京に来て(もしかしたら帆高の人生で初めて)頼れる大人を見つけたことから来る安心感を表しているのではないでしょうか。
帆高の自信と、陽菜との再会の予感
夏美について回り、記事の為の取材で都内を走り回る帆高。
そして場面は「晴れ女の噂」の取材シーンへと移り変わります。
そこでは以下の部分が流れていました。
笑われないくらいの愛で 変えられくらいの世界ならば 初めから必要ない 僕には必要ない 神様早く次を僕にくれよ
(RADWIMPS「風たちの声」作詞:野田洋次郎)
これまでの生活を捨てて東京へやってきた帆高が、見事に自信を取り戻した瞬間です。
「早く次を僕にくれよ」というのは、仕事を次々とこなす帆高の姿が思い浮かびます。
そして何よりも、間もなく訪れる陽菜との再会も示唆しているのではないでしょうか。
「祝祭」
楽曲の概要
作詞 | 野田洋次郎 |
作曲 | 野田洋次郎 |
演奏 | RADWIMPS 三浦透子 |
登場シーン
初めての「晴れ女ビジネス」を成功させた帆高と陽菜たちが、次々と依頼をこなしていくシーンで流れます。
明るい曲調で歌われる女性の歌声が、晴れ女のイメージにぴったりはまっていますね。
晴天を望む人々の気持ちと、誰かの役に立てる喜び
劇中の東京では、長期間雨が降り続いています。しかし人々は晴天を忘れる事が出来ず、「晴れ女サービス」へ依頼が殺到することに。
帆高と陽菜たちはその依頼をつぎつぎとこなしていくことになり、苦しい生活に希望が見えてきました。
その場面では以下の部分が流れていました。
君のおおげさな「おはよう」で すべて変わってしまう不思議
(RADWIMPS「祝祭」作詞:野田洋次郎)
陽菜の持つ不思議な力によって、陽菜や帆高はもちろん、見知らぬ人々にもささやかな幸せが降り注ぐことを表していますね。
「晴れ女」という一見大げさであやしい力ですが、関わった人はみんな笑顔になっています。
またこのシーンでは帆高が以下のように語っています。
人の心は不思議で、空が青いだけで生きていてよかったって思えたり、隣にいる誰かをもっといとおしく思えたりする
天気が晴れているだけで気分が晴れるという意味と、誰かの役に立てることで自分がうれしくなるということではないでしょうか。
また、帆高の中で陽菜に対する想いが強まっているのも読み取れますね。
天気の巫女の存在と、陽菜と帆高の関係性の変化
次々と依頼をこなし、東京に局地的な晴れ間を作り出していく陽菜。
日差しが降り注ぐ東京が描かれる中、以下のように歌われています。
君じゃないとないよ 意味は一つもないよ ムキになって「なんでよ?」って聞かないでよ
(RADWIMPS「祝祭」作詞:野田洋次郎)
この「晴れ女」の能力は陽菜だけが持つものではないことを表しているように感じます。
また、陽菜が天気の巫女に選ばれたのには特別な理由がないとも読み取れるかもしれません。
またこの後に続く歌詞では、「晴れ女ビジネス」を協力して成功させたことで、陽菜と帆高の関係性が強まっていくことも表しているようです。
「グランドエスケープ」
楽曲の概要
作詞 | 野田洋次郎 |
作曲 | 野田洋次郎 |
演奏 | RADWIMPS 三浦透子 |
登場シーン
物語のクライマックス、空の上でようやく再会できた帆高と陽菜。
二人がどうにかしてお互いの手を取り合おうとする場面で使われています。
重厚なコーラスワークが印象的な楽曲ですね。
帆高と陽菜の決断
廃ビルの鳥居にたどり着き、空高く舞い上がった帆高、
そして、帆高と陽菜はようやくお互いの姿を確認しあいます。
その場面で流れていたのは、以下の一節でした。
空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら
(RADWIMPS「グランドエスケープ」作詞:野田洋次郎)
この部分は直接的に二人の姿とリンクして歌われています。
空飛ぶ羽根というのは天気の巫女の能力、そして晴天と引き換えに人柱となった陽菜のことではないでしょうか。
帆高と陽菜の信頼関係
陽菜は迎えに来た帆高の手を掴もうとしますが、まだ心には迷いがあるようでした。
「自分が元の世界に戻ったら、東京は再び晴天を失ってしまう」
しかし、帆高は晴天よりも陽菜のほうが大事だとはっきりと伝えるのでした。
そして楽曲では次のように歌われています。
夢に僕らで帆を張って 来るべき日の為に夜を越えて
(RADWIMPS「グランドエスケープ」作詞:野田洋次郎)
これは異常気象の中家を飛び出し、一夜を共にした時のことを連想させます。
あの夜が二人の信頼関係を強固なものにしたことは間違いないでしょう。
そしてあの夜を越えたからこそ、帆高は強い意志で陽菜を迎えに来たと言えます。
また、この部分から合唱のような歌声が聞こえてくるところにも注目です。
まるで讃美歌のような荘厳な雰囲気で、二人の決断を祝福しているかのようにも感じられますね。
そしてこのクライマックスシーンは、次の一節で締めくくられます。
僕らの恋が言う 声が言う 「行け」と言う
(RADWIMPS「グランドエスケープ」作詞:野田洋次郎)
このシーンでは、宇宙から見た地球の姿が描かれています。
この歌と共に描かれることで、帆高と陽菜の決断を地球そのものが後押ししているように読み取れます。
また、二人の想いが通じ合ったことを言い表しているとも言えそうです。
「大丈夫」
楽曲の概要
作詞 | 野田洋次郎 |
作曲 | 野田洋次郎 |
演奏 | RADWIMPS |
登場シーン
3年後、大学進学のために東京に再びやってきた帆高でしたが、陽菜にはまだ再会出来ていませんでした。
しかし須賀の後押しもあり、意を決して会いに行くことに。
そして帆高が陽菜の姿を目にした瞬間にこの曲が流れ、エンドロールに突入していきます。
力強い歌声が特徴で、非常に存在感がある楽曲です。
「あの日」を未だに引きずっていた帆高と陽菜
世界が君の小さな肩に 乗っているのが僕だけには見えて 泣き出しそうでいると
(RADWIMPS「大丈夫」作詞:野田洋次郎)
陽菜は雨の降る東京の空に祈っていました。それは自分が人柱にならなかったことへの罪滅ぼしのように見えます。
そして帆高も自分たちが世界を変えてしまったと思っていますが、陽菜を守るためその考えを変えていました。
世界と向き合う決意
しかし帆高は陽菜の姿を見た瞬間、その考えを改めることに。
そして帆高のセリフとともに以下のように歌われるのでした。
君にとっての「大丈夫」になりたい
(RADWIMPS「大丈夫」作詞:野田洋次郎)
二人は世界が変わったことを受け止め、それでも自分たちや世界は大丈夫だと前向きにとらえるようになるのでした。
小説版のあとがきから読み取れる、この楽曲の重み
この楽曲の歌詞を読むだけで、「天気の子」のラストシーンはすべて把握できると言っても過言ではありません。
本作の小説版のあとがきで、新海誠監督はこの曲について以下のように語っています。
ラストシーンの演出に悩んでしたのだ。(中略)そして改めてこの曲を聴いてみて、僕は衝撃を受けた。(中略)僕はほとんど歌詞から引きうつすようにしてラストシーンのコンテを描き、一年前に届いていた曲をそこにあてた。
(小説版「天気の子」あとがきより引用)
「天気の子」の脚本を書き上げた新海監督は、真っ先にRADWIMPSの野田洋次郎さんに読んでもらったそうです。
そして数か月後に、楽曲「大丈夫」「愛にできることはまだあるかい」のデモが送られてきたと語っています。
当初は「大丈夫」は本作に使われる予定ではなかったそうですが、ラストシーンの演出に悩んでいた新海監督が改めて聴き、今作のラストシーンに使われたとのこと。
このような経緯から、この楽曲自体が帆高と陽菜の気持ちを代弁していると考える事が出来そうです。
「大丈夫」という前向きと後ろ向きの中間のような少し頼りない言葉に、本作のメッセージが凝縮されているような気がします。
「愛にできることはまだあるかい」
楽曲の概要
作詞 | 野田洋次郎 |
作曲 | 野田洋次郎 |
演奏 | RADWIMPS |
登場シーン
この曲は劇中で二度登場します。
一度目は、廃ビルで帆高が警察と須賀に拳銃を向ける場面。しかしここでは曲の冒頭部分しか使われません。
二度目はエンドロールで使われていて、そこではフルコーラスで使われています。
心地よい伴奏の上に優しい歌声が乗った楽曲です。
社会や大人への反発
取り囲まれて絶体絶命の帆高は、拳銃を須賀や警察に向けます。
そして陽菜に会うためになりふり構わない帆高の姿は、須賀の心を動かしました。
そして以下の部分が流れる中、須賀は帆高を助けることにします。
支配者も神も どこか他人事 だけど本当は わかっているはず
(RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」作詞:野田洋次郎)
一人の人間としては社会に今一つ馴染めていない須賀でしたが、帆高の前では常識的な大人として振舞っていました。
しかし帆高の必死な姿を見て、須賀の中の少年性が目覚めたのがこの時です。
帆高を説得している自分をどこか他人事のように感じていた彼が、本心をさらけ出したと言えるでしょう。
帆高の不安
須賀と凪の助けもあり、帆高は無事に屋上へと駆け上がる事が出来ました。
この場面では以下のように歌われています。
僕にできることはまだあるかい
(RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」作詞:野田洋次郎)
帆高の行動にはもはや一切の迷いがないように見えますが、歌詞の内容からはそれが正しいのか確信を持てていないことがうかがえます。
陽菜に会いたいという気持ちだけが先行していて、それに伴う世界の変化に関してはまだ葛藤している段階なのではないでしょうか。
帆高と陽菜が出した結論
ラストシーンで3年ぶりに再会した帆高と陽菜。
二人は自分たちが世界を変えたことを受け止め、それでも大丈夫だと確信して物語は幕を閉じます。
そしてエンドロールの一番最後には、次のように歌われるのでした。
愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ
(RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」作詞:野田洋次郎)
廃ビルのシーンでは自分の決意に確証が持てていなかった帆高ですが、「あるよ」と言い切ることで最終的に自分の決意を信じたと読み取れますね。
大学へ進学し環境学を学ぶことにした帆高は、自分が変えてしまった世界に対して出来ることをしていこうとしています。
そして陽菜に対しては「僕たちは大丈夫」と言うことで励ますのでした。
この先の帆高と陽菜の歩んでいく道を想像させる歌詞ですね。
挿入歌を読み取ることで、より作品を深く知る事が出来ます
以上、「天気の子」に登場する挿入歌に関しての考察でした。
映画というフォーマットは、小説のように事細かに登場人物の心理描写や状況を説明しにくいと言われています。
そこで多くの映画作品では、楽曲を使うことで演出の補足をしているようですね。
その点本作は、それをより意図的に行っているのではないでしょうか。
挿入歌に耳を澄ませることで、より「天気の子」の世界を深く知るヒントがつかめるかもしれませんね。
今回紹介した箇所以外にも、まだまだ深読みできる余地が残っていそうです。
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